時代劇
時期 小学校低学年
場所 自宅
思い出したきっかけ 水戸黄門グッズ
友人の1人に、水戸黄門の映像制作をしている会社(の関連会社?)に勤めている人がいます。
水戸黄門以外も作っているのだと思いますが、その友人は水戸黄門が大好きだそうで、鞄には毎回違う水戸黄門グッズがぶら下がっています。
会うたびに解説付きで見せびらかされるものの、正直あまり興味がない。(ごめんね……)
とは言え、水戸黄門などの時代劇を私も小さい頃はよく見ていました。
恐怖心と共に。
時代劇に詳しい訳では全くありませんが、時代劇の大まかな流れは以下のようなものだと理解しています。
主人公が街や街道などを散歩する
↓
問題に出くわす(問題を庶民が持ち込んでくる)
↓
問題の根幹には悪人の影が
↓
実は悪人はそこそこ偉いお代官様!
↓
成敗!
↓
ある程度打ちのめしたら主人公のご威光でとどめ!
恐怖心と書きましたが、私はこの流れで言うところの「成敗!」が怖かったのです。
「成敗!」は悪代官のところに乗り込み殺陣を披露する、いわば時代劇の一番の見せ場だと思います。
ですが、幼い私は殺陣が演技であると言うことが理解できず、斬られて倒れる悪者たちが全員本当に斬られてしまっているのだと思っていたのです。
自殺(他殺?)志願者を毎回募集しているのだと本気で思っていました。
ただ、斬られた悪人も「ご威光」のシーンではむくりと立ち上がり最後には平伏する。
それを見て「あー良かった! 生きてたー」となる訳です。
つまり、最後まで見ることができれば生きていることを確認できるのですが、「ご威光」の直前で見ることをやめてしまった場合は……。
生きていることが確認できず、「みんな死んじゃったかも……」という恐怖心を消すことができないままになるのです。
早く寝なさい! と親に怒られたとしても、時代劇を見始めたら最後まで見ないと私は寝られませんでした。
無理やりテレビの前から引き離されたこともありましたが、もう本気のギャン泣きです。
親は「そこまで見たかったのか……」と多分呆れたことと思いますが、私にとっては死活問題です。
いつの頃からか途中で見るのをやめても怖いと思うことはなくなりました。
我が子が時代劇を見るときがきたら、こっそりと耳打ちしようかと思います。
斬られてなんかないからね、と。